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 今年のGWは前半の連休で(「前半を連休にして」が正しい表現かも)仙台に行きます。初めての仙台です。朝夕も外に出る予定なので、天候&気温が気になっています。やはり仙台は寒いのでしょうか。
 4月という月は、地域によって気候にかなり格差のある時期だなと感じたのは、もう何年も前、会社に入社した4月からGWの声を聞くまでの約1月間、関東の会社の寮で生活した時に感じました。
 その寮は、新人が入社して、本格的に配属先が決るまでの1月ほどの研修期間に全国から新入社員が集まってきている寮でした。私の回りは私と同じく九州からの人が多く、私の同室の人は宮崎県出身の人。同じフロアーの部屋も、ほとんど九州出身者でした。唯一大学時代の私の親友は、上の階の部屋で、新潟から来た人と同室だったのですが、お部屋に遊びにいって驚きました。
 新潟出身のその人は、部屋にコタツを持ち込んで、しかも、本人は綿入れのようなものを着ていました。彼女にしてみれば、きっと新潟では、4月の期間は極普通にコタツに綿入れの生活だったのでしょう。
 一方、福岡では(内陸の寒暖の差の大きな地方は別として)一般に春休みになると、暖房器具を片付け、服も真冬の服は整理してちょっと薄手の春物に変わります。
 この感覚で、関東地方の寮に入った私は、朝夕はかなり寒い思いをしていまして、時々大学時代の親友を訪ねては、同室の方のコタツに入らせてもらっていました。
 関東は、太平洋側とは言っても、やはり、福岡よりも新潟の方がぐんと近くて、気候もそっちに近いのかなと思った次第です。
 ということで、4月末の仙台、天気もちょっとぐずつきギミの予想となっているようですし、しっかり防寒具を持っていきたいと思っています。
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2005.04.25 DVDでも見よう
ちょっとブルーで気力のない1日。
なので今日はお気に入りのDVDを見よう。
先週入手したSUMMARYのDVD。
華やかなで、元気一杯のショーを見ていると
私の気持ちも軽くなって明るくなる気がします。

アイドルにはまったのは30代になってから。
私を取り巻く現実が、それまでとは全然別世界のように
厳しく辛いものになってしまったそんな時期です。
現実をほんのひとときでも忘れさせてくれる
それが、私にとってのアイドル。

それは今でも変わらなくて、彼らの笑顔に癒され
ひたむきさに元気付けられ、パワーを沢山貰ってます。
私の多くのピンチを救ってくれた彼らに心から感謝。
 さて、福岡地方では、今朝再び大きな余震が発生し、不安な一日となりましたが、この件に関しては、「ニュースの小箱」を参照いただくこととしまして、こちらはの前回から続きの「アジア太平洋博覧会」のお話です。3度目の参加は、一般入場者として入場しました。が、その入場チケットも会社から貰ったものでした。(苦笑)
 「アジア太平洋博覧会」の期間中に会場内で開催された様々なイベントの1つに、国際的アクションスター「ジャッキーチェーン」を迎えてのトークショーがありました。私の友人に自称ジャッキーチェーンファンクラブ九州支部支部長という人がいまして(これが公認の組織だったのか、私設のマイナーな組織だったのかは、いまだに不明なのですが)、その方からお誘いを受けて、そのショーを見るのを第一の目的で来場しました。
 ショーは会場内の全天候型野外ステージで開催され、事前に参加券が当たった人のみの特典となっていました。参加券は協賛のラジオ局で受け付けて抽選で当たるもので、かなりの倍率だったそうです。当日は九州各地から熱心なジャッキーファンが集結していまして、参加券が全自由席だったため、開場2時間前には、開場ゲート前に開場待ちの人の列ができていました。日頃は絶対に早起きしない私も、この日ばかりは6時起きでゲートに並び、開場と当時に、制する警備員さんを上手くかわしながら、ステージ会場にダッシュしました。(笑)
 席を確保して約2時間、ショー開始までは、じっと我慢の子で、友人とかわるがわるに食料調達などしつつ、ショーの開始を待ちました。開始時間が近づくとスタッフさんたちの動きがあわただしくなって、緊張感が高まってきます。いったいどこからどんな風に登場するのだろう?とわくわくしながらきょろきょろあたりを見ていますと、予定時間からちょっと遅れてジャッキーが会場にやってきました。
 驚きました。何故って、ジャッキーは博覧会の会場の対岸に見える海の中道ホテルから、真っ白なモーダーボートで会場まで乗り付けてきたんです。(><) その演出があまりにかっこよくって、ますます舞い上がるファンたち。(笑)ショーそのものは、トークあり歌あり握手ありの1時間程度のショーでしたが、ジャッキーチェーンってスクリーンで見るイメージ通りで、かっこよくって、フレンドリで、本当に素敵でした。
夢のような時間が瞬く間に過ぎて、ジャッキーはまた、モーターボートで海の中道ホテルに帰っていきました。残された私と友人は、すっかり魂を抜き取られて、その場から離れることもできず、ただぼ~~~~~っと会場に座ったまま。「良かったね。」「良かったよね。」という会話を繰り返しておりました。
 その日はダブルイベントだったらしく、しばらくするといきなり次のイベントが始まりました。ちょっと現実の世界に戻れなくなっていた私と友人はそのまま、そのイベントにも参加することになりました。(無料だったので。。。ただ座っていたかっただけといううわさも)
 せんだみつおさんが司会で始まったイベントはミスコンでした。各パビリオンから選りすぐりのコンパニオンさんたちが参加していまして、審査委員のみなさまの投票と、会場で見ている観客の投票数でミスが選出されるというシステムで、会場でぼ~っとしていた私たちのところにも投票用紙が回ってきたので、私はちょっと和風の品のよい美人さんに投票しました。
 結果、私の投票した人がミスに選ばれ、その人に投票した人の中から抽選で景品があたるという抽選会が始まりました。この時点で何故か私は根拠の無い自信に満ち溢れてまして「絶対に当たる!」と友達にも豪語してました。そして抽選会もお大詰め、スポンサー提供の特賞の発表で読み上げられたのは、まぎれもなく私の抽選番号!その場でスポンサーのコンチネンタルエアラインより、グアム往復航空券をいただきました。v(^^)v
 多分あれで、私は一生分のツキを使い果たしたと思います。(苦笑)
 「アジア太平洋博覧会」が開催された時期は、社会人になったばかりのころで、背負うものもなく、私の生涯の中でも一番自由で楽しい時代だったなと思います。キラキラと輝く楽しい思い出です。
2005.04.19 博覧会
 現在愛知県で「愛・地球博(愛知万博)」が開催されています。最初は来場者数が少なく心配されていましたが、徐々に来場者数も増えているようです。ちょっと変わった傾向として、曜日別来訪者数をみると、トップが土曜日で、2位は月曜日なんだそうです。そして3位が日曜日。少し意外な結果でしょうか。私個人としては、今回の愛知万博は、ちょっと距離的に遠いこともあって、なかなか見に行くチャンスはなさそうなのですが、名古屋に行く用事があれば是非立ち寄りたいと思っています。
 さて「万博といえば?」と問われたら、答えは個人によって違うと思いますが、私の答えは「アジア太平洋博覧会」です。1989年に地元福岡で開催されました。非常に思い出深い万博です。と言っても、私が会場に足を運んだのは確か3回だけでした。
 1度目は、公開直前に行われた内覧会。ですが、パビリオンなどは、本番さながらに稼動していました。その時は隣接の遊園地も解放されていたので、乗り物に乗って遊んだ記憶があります。
 次の参加は、ゲストとしてではなく、お手伝いで関係会社のパビリオンの呼び込みの係り。炎天下の中「あと○○分で開演です。今なら待ち時間無しでご利用いただけます」など声がかれるほど叫んでおりました。おかげでその後しばらくは、日焼けと声枯れに悩まされることになりましたが、楽しい思い出です。
 休み時間に同じようにお手伝いにきていたAさんと一緒に福岡タワーに上りました。福岡タワーに上ったのはそれが最初で最後です。しかもその時は、パビリオンの制服を着て入場すると関係者ということで、入場無料だったのですよね。ということで、休み時間も制服を着てうろうろしていましたが、当時から既に人のよさそうに見えたらしい私は、初心者だというのに、あっちでもこっちでも道を尋ねられ、Aさんに苦笑されました。
 Aさんは、セミナー等のインストラクターが本業だったのですが、万博開催期間中は、ほぼ毎日のように、呼び込みのお手伝いに借り出されていまして、私のように期間中に1回だけという素人とは全然ちがっていました。他にも、営業系や販売系の関係会社からも、お手伝いのかたが参加していました。技術系で入っているのは私の会社だけのようでした。私もその日は、他の方の見よう見真似で、張り切って呼びこみをしてましたが、後でAさんから「あなたは会社のほかの人とは全然ちがうわねぇ。」といわれました。どうやらそれまでうちの会社から送りこまれた人員は、呼びこみ等には向いていなかったらしく、会場内の人の入れ替わりの誘導係り等をやってたようです。(^^;;;まあ、今となってみれば、あれは本当に貴重な経験になりました。
 さて、三回目は今度こそ普通に一般客として来場したのですが、これまはとても一言では語り尽くせないので、続きはまた明日ということで。。。。。。(つづく)
2005.02.19 ネットの歴史
昨夜は(今朝方まで)メモリアル館のコンテンツを修正しつつ、当時のことを思い出したので、今日は自分のネットの歴史などを振り返ってみることにしました。
私とインターネットの関係は古く、インターネットがまだ研究段階で一般には公開されずJUNETと呼ばれていた時代(当時はwebサービスはなくメールベースでした)から縁あって利用させてもらっていました。
その頃自宅では、インターネットではなく、パソコン通信と呼ばれる主に電子メールサービスト電子掲示板サービスから成り立つテキストベースのサービスを利用していました。私が入会していたのは@niftyの前身のNIFTY SERVEというの会社のサービスです。
そのうちにJUNETがインターネットと呼ばれるようになり、一般にも公開されてWEBサービスも提供されるようになりました。仕事がらその初期の頃からインターネットのサービスを利用していましたが、一般家庭にはまだあまり普及していなくて、接続料も高かったので、自宅ではパソコン通信の利用を続けていました。というか当時は自宅にWEBにアクセスできるPCを持ってなかったのですよね。(苦笑)
1996年冬にようやくパソコンを購入し、パソコンにくっついていた特典をいかしてInfoWeb(これまた現@nifty)に加入しました。当時はダイヤルアップで、プロバイダの課金も時間制だったと記憶しています。
自宅でWEBアクセスができるようになって、嬉々としてネットサーフィンする毎日でしたが、当時はまだ一般のHPが少なく検索してもなかなか思うようなHPに行きつかないという状況で「それなら自分で作ってしまえ」と始めたのが、一番最初のHP、1997年2月のことでした。
HPを立ち上げると、メンテナンスやなんかで、プロバイダと契約していた接続時間はすぐに超えて超過料金が必要になった上、回線もダイヤル回線なので、電話代もかなりすごいことになってしまい、速攻で、時間制限なにのプロバイダを乗り換えることにしました。電話回線もテレホウダイを契約し、毎晩11時からのネット生活が開始しました。
それから3年間ほどがダイヤルアップ利用時代で、2000年春に私の地方でもようやくNTTのADSLサービス(1M)が開始されたので速攻で乗り換えました。その時にプロバイダもまた@niftyに戻したのですが、この時を機に、それまでなんとか運営していた2つのHPを閉鎖することにしました。
それまでも情報系のHPであるにもかかわらず、忙しさにかまけて、あまり更新しなくなっていたことと、当時は掲示板荒らしやチャット荒らしが横行していて、その対処につかれてしまったこともあり、ちょうど潮時かなと思い、閉鎖を決意しました。このころには、インターネットの普及率の上昇と共にHP数も爆発的に増えていたので、まあ、私の役目も終了かなってことで。。。。。
それから、数ヶ月後、私の地元でもYahoo BBが格安のADSLサービス(8M)を開始したので、速攻で乗り換え、今日に到っております。Yahoo BBのHPサービスは今でこそ会員のHPには広告がでませんが、当初は会員であろうと、一般の無料HPスペース利用者であろうと広告が出るようになってまして、その上、自作のCGIが使えないという使い勝手の悪さがあり、数年間はHPを持つことがありませんでしたが、Yahoo BBの会員のHPから広告表示が消え、CGIの使える無料サーバを見つけたことで、創作館で公開中のHPをオープンさせました。
が、しかし、無料サーバがいつのまにか(って気がつかない私が悪いのですが)サービス停止をしてしまたので、掲示板などが動かなくなってしまって、それを動かすために新たな無料サーバを見つけて引っ越すことにしました。
それを機に、今までのコンテンツをまとめて公開しようと、このHPを立ち上げたという次第です。
でも、実はここの無料サーバも期間限定で、早ければ今年の5月にはまた引越しとなります。今からサーバ探しをしておかねば。。。。。
今日は私のネットの歴史を語ってみました。
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