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 家電メーカのシャープが、2007年度までに、女性管理職数を現在の約3倍の60人に増やす人材育成策を発表したそうです。女性専用の育成プログラムや、職場の管理職への女性部下の育成の義務付け等、かなり本気で取り組むようです。
 私は数字が大好きなので、シャープのこの数字少しばかり分析してみたいと思います。まず現在の女性社員は2100人で、そのうち管理職は21人、比率は1%であることがわかります。これが多いか少ないかは、社内全体で社員に占める管理職の割合のデータがないので、一概には判断できませんが、男性社員と比較すると多分かなり低い数字なのでしょう。
 ところで、シャープの全社員数は約23,000人です。全社員に占める女性の割合は9.1%。そしてその中でも女性幹部社員となると0.091%となります。これを約3倍の60人にするということは、つまりは、0.26%を目標にするということになります。
 う~~~ん、シャープの意気込みは素晴らしいですが、四捨五入しても1%に満たない値は統計的には誤差の範囲内のような気がします。それでも、まあ数字はさておき、まずははじめることが大切ということでしょう。
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 今年の春から「次世代育成支援推進法」の施策取り組みが始まっています。各自治体でも、様々な取り組みが始まりました。そんな中、ある自治体(県)の取り組みが新聞で紹介されていました。少子化対策の一環として、地域住民からの子育てに関する悩みや不安を受け付ける、相談員・助言者を「子育てマイスター」として募集を始めたという話でした。マイスターは、保育や看護、保健など子育てに関する資格を持ち、地域で自主的に活動できる人が対象でボランティアが基本。また、名前や連絡先が市町村の広報紙などに掲載されることに同意できる人という条件で、県内全域で学区ごとに1人ずつ配置する予定。募集は200人以上を目指しているとのことでした。この取り組みを見て私が感じたことは、この施策を立案した人は子育てをしたことがないのだろうということです。

 まず、「子育てマイスター」は、本当に200人以上も集まるのでしょうか。いくつかの点で疑問を覚えます。
 1つは、広報誌に個人の連絡先が載ることです。例えば地区の公民館で相談に応じるというのならばまだしも、広報誌に連絡先が載れば、「子育てマイスター」の都合に関係なく、いろいろな時間に不特定の人から相談を受けることになります。これに対応するのはかなり大変なことでしょう。また、これは個人情報保護の観点から言っても危険なことだと思います。やはり窓口は、公的な機関にするべきでしょう。
 もう一つは、これに応募できるのが保育や看護、保健など子育てに関する資格を持つプロでありながら無給ということです。単に井戸端会議程度でよいのであれば、有資格者に限定する必要はないでしょうし、逆にそうではなく有資格者ならではのスキルが必要なものならば、無給というのはいかがなものでしょう。地域で自主的に活動できる人という説明がありましたが、具体的にはどういう人を想定して、どういう相談形態を想定しているのか、さっぱり分かりません。
 私が思い浮かべたのは「子育てについて専門的なスキルを持ちながら、現在は家で暇している人で、ボランティア精神が豊で、マイスターになった暁には強い責任感を持って、自己責任において積極的に活動する人」となるわけですが、無給でそれをやるためには、それなりの生活基盤が整っている(つまりは家族に生活を支えるだけの収入があるか、または十分な年金を貰っている)人で、しかも家族もこの活動に十分な理解がある必要があるわけです。そんな人が200人もいるのでしょうか。
 更に分からないのが、母親の悩みとしてどういうものを想定しているのかということです。母親の悩みは、子供の発育やしつけのことだけではありません。育児は生活ですので、生活の全ての要素が複雑に絡んでいます。経済的な問題や、夫の育児に対する態度の問題。場合によっては夫の妻への暴力もあるでしょう。幼児虐待の問題。子供の先天的名病気もあるかもしれませんし、保育所の問題かもしれません。ある種の支援を得るための公的な手続きに関する質問もあるでしょう。そう考えると、「子育てマイスター」は、いろんな分野の専門家や公的な機関と太いネットワークをもっている必要がありますし、自治体が行っている様々な支援策や、法律、医療関係等の幅広い知識が必要になります。というか、これ無しには、母親の相談に具体的に支援となと回答を提供することはできないでしょう。
 しかし、そこまで想定してこの施策を作ったとは思えません。ただ「母親の愚痴を聞いてやる相手」くらいに考えているのだとしたら、その時点でその施策は破綻しているでしょう。たとえ初年度はなんとか形を整えることができたとしても、数年で応募者もいなければ、相談者もいないというように、形骸化するのではないでしょうか。

 良し悪しは別として、今の世の中は少しでも無駄を省いて効率を高めるという方向に走っています。そのため人々は精神的な余裕も時間的な余裕も失って、日々、時間に追い立てられてる生活を送っている状態です。このように余裕のない現状で、ボランティアに頼る施策というのは、最初から現実的な施策にはなってないと私は思います。これがNPO的な取り組みとして住民の中から生まれたのであれば話は別ですが、県の支援策としては、まるで人頼みの情けない施策はないでしょうか。「育児支援のための相談員」には、かなりのスキルやノウハウが必要で、本来ならば、そういうエキスパートこそ自治体職員の中で育てるべきものでしょう。そうでなければ有効な支援は提供できません。少なくとも募集人員の10%くらいは、自治体職員のエキスパートを割り当てて、一般の「子育てマイスター」さんの活動を強力にバックアップする程度の施策は加えていてほしいものです。
 朝日新聞の土曜日版の記事でワタミ社長の渡邉美樹さんが紹介されていました。記事の詳細はさておき、この記事を読んで考えたことがあります。
 この方は23年前、1年間佐川急便のセールスドライバーをして独立資金(300万円)を貯めて事業を始めています。これについて、「独立資金をためるためとはいえ、なぜ、佐川急便に?」と問われて「自分の汗と引き換えに、資本金をためたかったから」と答えています。この時に語られた「お金に色はないとよく言われるけど、あるんですよ。汗と引き換えか、右から左にものを動かして得たお金か、という色が。」という言葉が私の心に響きました。そして、私が今持っているお金が、「汗と(涙と)引き換えに得たお金」であることを、少し誇らしく思いました。
 最近まで私も、まじめに働いて対価を得たことを誇らしく思える社会こそが、まっとうな社会であって、「右から左にものを動かして得たお金」の方が素晴らしいと感じる社会は、かなり危ない社会だと思ってきました。もちろん、今でも基本的にはそう思っていまが、最近なって、ちょっと違う考えも持つようになりました。
 それは、世の中で輝きを持つお金というのは、2種類あるということです。1つは、この渡邉社長が語ったように、「汗と引き換えに得たお金」です。社会に何かしら貢献することで得られるお金。これは、たとえ小額であってもキラキラと輝くものだと思います。ここで重要なのはお金を得る過程です。それならば「右から左にものを動かして得たお金」はダメかといえば、そうとは言いきれないと思うのです。この場合はお金を得る過程は、確かに輝くものではありませんが、こういうお金でもキラキラ輝くケースもあるはず。それは、何のためにそのお金を得るかという目的にあると思うのです。もしその目的がそれを使って社会に貢献するというものであれば、そのお金もまたキラキラと輝くものになる。
 この渡邉社長をモデルに、「青年社長」という小説を書いた作家の高杉良氏は、渡邉社長についてこう語ったそうです。「人を動かすことにかけては強烈な自信がある。なのに、ギラギラして見えない。利益追求だけでない、彼なりの死生観に裏付けられた使命感のようなものがあるから」と。まさにこれなんだと思うのです。経済活動の目的が利益追求だけになってしまったら、社会はおかしな方向に行ってしまいます。資本主義なんだから、利益を追及してどこが悪いと言われるかもしれません。でもちょっと待ってください。遠い昔に物物交換から始まった経済の仕組みというのは、元々何のために始まったのでしょう?それは、「人々の生活を豊かにし、便利にする」ためではなかったのでしょうか。だとすれば、人々の生活を豊かにも便利にもしない経済活動というのは、根本を踏み外しているのではないかと思います。
 私のような小市民は、コツコツ真っ当に働いて、「汗と引き換えに」賃金を得るのがやっとですが、日本の経済を動かしている方々には、経済活動の根本が社会貢献にあることを中心に据えて、本業で製品やサービスを社会に提供することによってそれを実現するのか、または利潤追求によって得た利益を適切に社会に還元することによってそれを実現するのか、考えてみてほしいと思うのです。どこかしら全てがマネーゲームめいた社会に傾倒しつつある今だからこそ、原点を見つめなおす必要性を強く感じます。
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「大5回宝くじ高額当せん者大募集」という新聞広告、これは応募する人がいるのでしょうか。
 確かに1年間の広告等への出演で50万円の出演料は美味しいですし、広告に掲載する写真の撮影のために東京に行かなくちゃいけないそうですが、交通費も宿泊費も会社持ちというのですから、無料の東京旅行だと思えばかなり美味しいかもしれません。更にTV出演依頼もくるかもしれないとなれば、これまた魅力的なお話です。
 しかし、条件をみると、過去5年間の間に1000万以上の高額当選した人で、実名・写真付きで、新聞広告・雑誌広告・その他のチラシなどに掲載されるというのです。応募にはもちろん当選証明書が必要で、厳しい審査があるので、自称当選者では応募できません。
 高額宝くじに当選した人が50万の出演料に目がくらんで応募するものでしょうか。それよりも実名&写真が掲載されることで、回りからのタカリや、今はやりの振りこめ詐欺や、強引な訪問販売や、最近話題の悪質リフォームや、わけのわからない募金等に狙われて、危険な目に合う可能性も高いわけで、そういうリスクを回避したいと思うのではないでしょうか。と言うか、最近は普通の人でも、不特定多数の人の目に触れるものに、実名・写真入りで掲載されるのは、かなり危険だと思うのですが、高額当選者となれば尚のこと危険でしょう。
 それでも、この広告をみて応募してくる高額当選者っているのでしょうかねぇ。。。不思議です。

 ちなみに、このネタで私がちょっと怒ってしまったことは、この企画で支払われる出演料(募集人員10名なので総額500万円)と、取材のために上京するときに会社が負担するという交通費や宿泊費って、結局は宝くじの収益金でしょう。つまり私がいつも宝くじを買って払ってる代金の一部ということですよね。例えそれが余剰金であったとしても、もともと必要経費として当てられているものだとしても、何故に、いつも1割しか還元されない私ではなく、高額当せん金をもらった人に、また再分配されるのか、かな~~~~~り不愉快に思った次第です。
 今日はPCの調子が悪いのか、プログのサーバの調子が悪いのか、散々なことになっています。
 まずはTB。プログのある記事にコメント頂いた方にTBを登録しようとしたところ、保存ボタンを押したと同時にその画面が固まり、いろいろやっているうちにPCそのものがロックしてしまいました。仕方なく強制的にPCに再起動をかけ、上がった後にTBを確認にいったところ、何故か指定した記事とは別の記事(というか1日次の日の記事)でTBが登録されてました。(;;)このTBってやつは、TBをかけた方からは削除できないという、良く考えたらとんでもない代物で、めまいがしてしまいました。
 仕方なく相手の方の記事に「お手数ですがTBを削除ください。」というお願いのコメントを残すことに。これを書き込んで送信を推したところ、今度は『サーバーが見つかりません』の表示。「うっそ~~~(><)」と、ショックを受けながら、ブラウザのバックボタンで戻すと掲載内容が残っていたので、ラッキーと思い、再度送信ボタンをクリック。今度は上手く行きました。というので、掲載内容を確認すると。はぁ。。。。2重投稿になってる。まるで初心者みたいな無様な出来。まったく悲しくなります。
 気を取り直して、今日の日記を書きました。タイトルは「タイの夕べ」。普段はテキストエディタで仕上げて、コピーでプログに張り付けるようにしていますが、今日に限って、プログの入力画面に直接タイピング。全てかき終えて保存を押した瞬間、何故だかログイン画面に戻ってしまいました。今回ばかりはブラウザのバックボタンで戻しても、情報は全てパージされていました。はぁ。。。今日はとことんついていないらしいです。
 ということで、テキストエディタでこの記事を書いてます。今度こそ、まともにアップされることを願って。。。。
2005.05.26 県政モニター
 平成17年度の県政モニターに応募していたところ、当選いたしました。これから1年間県政モニターとなります。
 ところで、県政モニターって何をするのでしょうか。ということで、送られてきたしおりで確認した所、1年に3回実施されるアンケートに答えることと、県政についての意見を文書にまとめて提出することの2つでした。と言っても後者は任意のようで、必須は前者のアンケートに答えることにあるようです。
 サンプルを見るとアンケートは20問程度で選択肢形式となっていました。この程度のアンケートに3回答えて県政モニターを名乗るのもお恥ずかしい話なので、毎月の「県政だより」やHPで公開されている情報などを元に、1月に1回程度は意見を文書にまとめて提出して行きたいと思っています。
 ちなみに県政モニターになると、「県政概要」や「グラフ」といったデータが送られてきます。私は、データを見てはああでもない、こうでもないと分析するのが大好きなので、かなり楽しみにしています。
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 2004年の出生率過去最低の1.28になったというニュースが流れていました。「過去最低の更新は4年連続。政府は保育所の整備など育児支援策に重点を置いた少子化対策をとってきたが、十分な効果があがっていない。少子化は政府の想定を上回るペースで進んでいる。」と解説がありましたが、私に言わせていただくなら、今程度の取り組みで、本当に少子化傾向が止まると思っているとしたら甘過ぎですね。今回昨年の1.29に比べてたった0.01しか下がらなかったことこそ、私の想定にはなかった大進撃という感想です。
 まず第一に、自然界には慣性の法則というのがありまして、一旦下方を向いてしまったベクトルを上方に転換させるのには、かなりのインパクトが必要なわけですが、現在の少子化の取り組みにはまったくインパクトがありません。「保育所の整備などの育児支援策」はもちろん必要でしょう。これがなければ、ますます出生率が低下すると思います。しかし、この施策は残念ながら出生率を押し上げるほどのものではないです。
 日本の少子化の歴史を振り返ってみてみると、1950年には約3.75だった出生率が7年後の1957年には2近くまで落ちこんでいます。たった7年で半分近くになったわけです。その後1975年までの18年間は丙午の年を除き2~2.2くらいで推移しています。そして1975年に2だった出生率が約17年後の1992年に1.5を切ることになります。それから11年をかけて1.3を切ったのです。ここ12年間で下がった指数は0.2です。
 一方お隣の韓国をみてみると、1950年年代は5~6という高い出生率でした。それが1974年に4を切ったのを皮切にその後たった10年で2までおちています。更に14年後の1998年に1.5を切ってからは、たった5年で1.2を切る状態になっています。
 最近だけの傾向をみてみるに日本の場合は、1992年に1.5を切り、12年後の2004年でもまだ1.28だけれども、韓国では、1998年に1.5を切りその後5年で1.2を切るという急速な少子化が進んだことがわかります。
 日本の場合は、その10数年あまり、何度も何度も甘い出生率予測が政府から出され、その度に「政府の想定を上回るペースで進んでいる」と言い訳がなされてきたわけですが、こうして数字で見ると、日本の場合は決してものすごいペースで少子化が進んできたわけではありません。グラフでみれば、本当にコンスタントに直線的に徐々に下がってきたことがわかります。韓国のように、落ちる時には1年でガクっとおちるなどいう傾向ではないのです。ということは政府の想定というものは、これまでの推移のまったく考慮せずに、ここから上昇に転じる(転じればいいな)という希望的観測で、想定されていたのではないかと疑いたくなります。
 多分政府の想定は、もう出生率の低下も下げ止まりで、そろそろ上昇に転じて、他の先進諸国であるフランスや北欧諸国と同じように1.7~1.8に回復するという想定なのかもしれませんが、政府の願いと想定を一緒にするのはいかがなものかと思います。それまでコンスタントに推移してきた数字は、よほどのことがなければ、やはりコンスタントに推移していきます。本気で少子化をなんとかしようと思うのならば「そんなのありなの?」というくらいのインパクトがある施策が必要でしょう。
 因みに私の予想は、これから数年で更に下がって1.1台で収束するという予想です。私の予想が当るのか、政府の想定が正しいのかは、5年後10年後に結果が出ているでしょう。もし少子化への支援策が現行の延長上に進められるのであれば、多分勝者は私になるでしょう。勝っても嬉しくはないですが。。。。
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先日 ニュースの小箱「我が子を守るはずの父親が子殺し」なる話題を取り上げましたが、これに関連して、今日はにわかに浮上してきた「乳幼児の天敵は父親」なんじゃないの疑惑について考察したいと思います。最初にお断りしておきますが、これは極端な話であって、子煩悩で子育てに協力的な父親もたくさんいることは重々承知しています。その点はご理解のほどお願いします。
  最近の父親は子供に対する父親の愛情ってかなり薄くなっている気がします。もちろんそうでない人もいるとは思いますが、全体の傾向としてそんな気がします。社会的には少子化傾向とあいまって、子供に無関心で育児にほとんど協力しない父親が問題になっていますが、実際の育児現場では、まだ無関心でノータッチなのはマシなほうという話しを耳にします。
 結局,父親自身が精神的に大人になりきれていなくて、妻を第2の若い母親だと思ってる。そうなると、子供はライバル。母親が手のかかる赤ん坊にべったりになると、父親は、母親が自分の相手をしてくれない、身の回りのことをしてくれないという意識になって、子供への嫉妬がうまれる。そして子供を虐待する。よくあることのようです。このような現状で、父親を育児のために家庭に戻すという施策をとって大丈夫なのかな。。。と私はちょっと心配です。父親が早く家に戻ってきても、母親にとっては、結局手のかかる子供が一人増えただけという結果になるのでは?と思ったりします。
 父親の子殺しのパタンというのはだいたい決まっていて、子供が泣き止まない・言うことを聞かない・なつかないというパタンです。乳幼児というのは自分で自分を守ることができないので、自分にとって相手が安全な人か、危険な人かを認知する能力を持っています。だから、心から安心できる相手でないとなつかないし、無理に何かをしよう・させようとしても大抵は拒否されて、大泣きされるのがオチです。そう言う意味では乳幼児はリトマス試験紙みたいなもので、もし「NO」と拒否されたとしたら、問題は子供にではなく大人の方にあるのですよね。子殺しに走る父親は、そんな基本的なこともわかってないのでしょうね。
 子育ての理想と言えば、大抵つがいで甲斐甲斐しく子育てをする鳥類が引き合いにだされますが、私の友人に言わせると、人の子育てはトラの世界に似ているそうです。猫科の動物はメスだけで子育てするんだそうで、子育て期間中は、オスは最大の天敵なんだそうです。赤ん坊を殺そうとするからだそうです。最近の子殺しの事件をみていると、まさに乳幼児の天敵は父親だという気がします。母親がそれなりに経済的・精神的に自立していれば、父親から子供を守ることができるのでしょうが、まだ母親自身も若くて自立できてないタイプだと、そこから子供を守って逃げ出すこともままならないのでしょうね。
 家庭の中での父親の理想像というと、私は「大草原の小さな家」を思い浮かべます。不器用だけど子供たちにありったけの愛情をそそいで、外敵から家族を守る。力は家族を守る時にこそ使ってほしいものです。
 先日の朝いつものように出勤しようとしていた時マンションの入口で、真っ黒なタンクトップを着たかなりマッチョで強面の中年男性に出会いました。格闘家の角田信朗さんのようなタイプの方といったら分かりやすいでしょうか。街で出会えば、間違いなく自分の気配を消して気が付かれないようにすれ違うタイプの方なのですが、「おはようございます」とにこやかに声を掛けてすれ違いました。同じマンションのに住む住民なので顔見知りなんです。
 さて、私が今のマンションに移り住んだのは七年とちょっと前の冬のことでした。北九州市の厚生年金会館で、Kinki Kidsのローソンコンサートが行われた次の日のことで、その日は福岡では珍しく小雪の舞う日のことでした。その日、当時住んでいた所から1キロほど離れた今のマンションに引っ越してきました。理由は当時住んでいた家が2DKの家で、その春小学生になる娘の机を置く場所もなかったからです。台所か居間に机を押し込むことはやぶさかではありませんでしたが、それでも2~3年で手狭になるのは十分に予想できる状況でした。その時になってもうちょっと広いところに引っ越すとなると、子供を転校させることになるので、それならば転校しないでも済むようにと、小学校に入学する前に引っ越そうと決めたわけです。
 それともう一つ。それまで私は賃貸住宅に住んでいましたが、田舎に帰る家があるわけでもなし、いつまでも賃貸というわけにもいかないので、いっそマンションを買ってしまおうと考えました。ローンの期間を考えれば、少しでも早く買ったほうがいいというか、遅くなると払いきれなくなる可能性もあったので、そこらがちょうど潮時だったということもあります。
 それからマンションを捜しはじめました。通勤に便利で、子供の学校環境がよいところで、買い物に便利で、治安がよくて、静かで、間取りがよくて高くない物件。これだけ条件をそろえるとなかなか条件にあったところは見つからないもので、その中でもまあまあ条件に合っていた今の物件に決めました。
 決めた理由は幾つかあります。営業の方が熱心で信頼できそうだことも1つ。幾つか物件を見て回りましたが、単なるひやかしと思われるらしく、営業の方にあまり相手にされないケースが多くて、熱心にこちらの要望を聞いてくれた不動産は2軒くらいしかありませんでした。ちなみにその後、車を買おうとショールームを見に行った時も、ほとんど相手にされなかったので、私って「買いたい」オーラを全然出さないタイプなんだろうと思います。本人は買う気満々なんですけどねぇ。ってひやかしで回るほど暇じゃないですし。
 さて、話しを元も戻して、今のマンションに決めた一番の理由は、もちろん学校環境にありました。こればかりは後でいくらお金を積んでも買えるものではないので、一番大きな要因だったのです。結局小中高と福岡市内でもよい学区と言われる学区を選びました。といっても福岡市内の特に西の地域は、学区のよさがマンションの価格の相場を決めるといってよいくらいですので、一番人気の百道浜や百道地域はとても手が出るものではなく、まあ、そこまで行かなくてもそこそこのというところで今のマンションに決めました。なにより小学校が目の前にあるのが決め手。それまで娘は、一人では家から1歩も出たことがない生活をしていましたので、親と離れての通学がとても心配でたまらなかったので、学校が家の前にあれば通学も安心と思った次第です。
 他にも幾つか立地的な意味での決め手はありましたが、ここにしようと思えた理由は、住民にもあったように思います。小さなマンションで、すでにほとんどの部屋が売れていたこともあり、そのマンションに住む方の情報が事前にわかっていました。その中でも、3人ほどキーマンとなった方がいます。一人はこのマンションの建築販売をやっていた不動産会社の社員さん。マンションはサラリーマンにとっては一生の買い物になるわけで、社員も選ぶマンションというのであれば信頼できるのかな、と思った次第です。それから昨日あったという方。この方も、私がこのマンションを選んだキーマンの一人です。このマンションには法律事務所に勤務している方と、警察官の方がいるという情報を事前にキャッチしていました。昨日会った方は警察官で、格闘家のように鍛え抜けれた肉体は職業柄なのでした。
 法律関係に明るい方や警察官が住んでいるということは、直接的には毎日の生活にはそれほど意味はないのですが、やはり、そういう方が住んでいるというだけでなんとなく心強いものがあります。ということで、マンションを購入する際の決め手というのは、物件や回りの環境だけでなく、密かにそこに住む住民そのものもかなり大きな心理的ポイントになると思った次第です。
 今朝新聞を読んでいると「介護の仕事を担うのはだれ」という特集既記事が掲載されていました。20年後、少子高齢化の影響で介護の担い手が大幅に足りなくなるかもしれないということでいろいろな分析・施策が載せられていました。
 前提は確かに疑わないとして、20年後の要介護者は現在の40%増しになるとしましょう。そうすると、ペルバーさんも40%増必要なわけですが、少子化の影響でその分の労働力の確保が難しいという部分はちょっと違うのではないかと思いました。更に、その分を補うために外国労働者を受け入れも選択しだという話しなると、それは全然違うだろうと思った次第です。
 まず労働力が12万人不足するという話しですが、現在の日本の失業者数は320万人を超えています。さらにニートが80万人以上と言われています。これは現在の数字なので、20年後にこれだけの労働力が余っているかといわれれば、それはなんとも言えないところですが、現在でも400万人の無職の人がいるのですから、20年後に12万人の労働力が不足するというのは、ちょっと考え辛い所です。
 新聞の記事では、介護の仕事で不足するのは、非常勤で働くパートの人だと分析しています。これらの仕事は自給が安い上に、定時の仕事ではないく必要な時に必要なだけ働く仕事なので、労働時間も収入も一定しないために敬遠されているという話しでした。これらのパートをする層を40代50代の女性に限定して考えているのも、結局はこの収入では生計を維持できるものではなく、子育てが終わった専業主婦の人達が、ちょっとした余剰時間を使って介護のパートをすると言う形になっているということのようです。
 それならば尚のこと20年後に40代50代で自分のコアな仕事を持たず、夫の収入だけで生計をたてて、空き時間に介護のパートをしている女性がいるという想定は、かなり怪しいと思うのです。更には、こんな不安定で収入の少ない仕事に外国人労働者を受け入れるのはいかがなものでしょうか。
 外国人労働者の受け入れが語られる背景は、本当は労働者数の不足ではないことを、きちんと認識しなければなりません。先ほど述べたように、今の日本には無職の人が400万人もいて、決して労働者数の不足の状態ではありませんし、将来急速に労働者数の不足に陥るというのも考え辛い状況であることを考慮すれば、「将来労働者不足が懸念されるので外国人労働者の受け入れを」というのがかなり論理の飛躍であることがわかります。不足するのは労働者ではなく「安く使える労働者」です。
 日本人の人件費が上がって、最近では女性も労働市場に大量に流れこんでいて、安く使えるパートのおばちゃんも減ってきました。そこを補うために外国人労働者を受け入れようというのが本音なのです。安く働いてくれるのだったら、受け入れがいいじゃないかと単純に考えないでください。
 まず何故に今安く働くパートのおばちゃんが減っているのかを考える必要があります。それは、一般的な男性の所得が減っている、または昔のように年功序列で給料があがっていかない、またはリストラで職を失う可能性が高まっている。と、当時に、子供を育てるのにかなりの経費がかかるようになってきているため、夫婦共働きでないと生計が成り立たない現実があるからだと思います。
 さて日本にやってきた外国人労働者はどうやって生計を維持するのでしょうか。時給1200円で仕事時間は不規則、収入は不規則というパートの仕事で、日本での生活が維持できるとは思えません。このケースでの外国人労働者はフィリピンの労働者が想定されているのですが、フィリピンで時給1200円といえば、多分かなり高額で、飛びついてくる労働者は多いかもしれませんが、日本で働くとなれば、自分の生活を維持するのにかなりまとまった収入が必要です。日本人でも旦那の収入で暮らしているからこそ、お小遣い程度の収入でいいという人しかやれない仕事なのに、家もなければ、他の生活資金のあてもない外国人労働者が、この介護のパートの仕事で日本での生活が維持できるのでしょうか。かなり疑問です。
 また、この労働者の大半が女性だと思うのですが、日本で働くうちに日本人男性と結婚する方も出てくることでしょう。それは別に個人の問題なのでよいのですが、離婚した時のことを考えるとかなり大変な話しになります。元の国に強制送還するのでしょうか?お子さんがいればそれも難しいでしょうし、そうなると、彼女たちの生計は誰がみるのでしょう。結婚しなくても、子供が出来たケースなどはそうするのでしょう?
 外国人労働者を受け入れるということは、国民として受け入れる覚悟がなければやってはいけないことだと私は思います。それを考えずに安易に「都合のよいパート労働者」として外国人を受け入れるのは、将来に禍根を残すことになります。
 それでは、介護の仕事は誰がやるの?という問題が解決しません。でも私はこう思うのです。日本の寿命はまだまだ延びています。それが要介護者を増やしつづける要因でもあるのですが、一方で元気な高齢者も山ほど生み出しています。「介護の担い手」を現役世代に限定する必要はまったくありません。60才以上のリタイア生活を送る健康な方を「介護の担い手」として介護市場に担ぎ出せばよいのではないでしょうか。大半が年金暮らしをしているか年金支給待ちの方で、経済的な基盤は一応ありますので、お小遣い稼ぎ程度の収入でもなんとかなるでしょうし、なんといってもポスト要介護世代ですので、介護する側を体験しておくのも役に立つと思います。
 パート料だけでなく、自分が要介護になった時に優先的に介護サービスの個人負担費用として使える介護チケットを作って、それで介護パートの報酬を払う制度などを作ることで、パート介護者の経費を押さえると共に、パート介護への参加者を増やすことができると思います。
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 今朝、新聞(朝日)を読んでいて面白い記事をみました。それは、先日公表された高額納税者に関する記事でした。今年の傾向として投資ファンドの経営者や社員が急速に上位に入って来たという話し。
 この記事では、約45年前の「長者番付」に名を連ねたのはブリジストンの創設者や松下電器の創設者で、「額に汗して苦労を重ね、新しい商品の発明などで国民生活を改善し社会に貢献した人達」と表現していました。私も企業の基本はそこにあると思っています。故に「企業の目的はお金を稼ぐことだ」といいきる経営者を見ると、それは違うでしょうと心の中で呟きます。企業が得るお金というのは、何かしら社会に貢献したことで得られる対価だと思うのです。多分、企業活動の動機や目的が「とにかくお金を稼ぐこと」となってしまった企業は、例え今は飛ぶ鳥を落とす勢いでも、社会の支持が得られず、いずれ「盛者必衰の理を表はす」に行きつくものと思います。
 新聞の記事では投資ファンド等で高額納税者リストに名を連ねた人たちのことを「カネを右から左に動かすだけで、庶民の生活と全く接点がない。何一つ付加価値を生み出さず、我々の生活を何一つ改善しない人たち」と手厳しく批判していました。
 この記事ではこういう人達のことを「錬金術師」と呼んでましたが、私も、投資でお金を動かしてキャピタルゲインを稼ぐことを「現代版の錬金術」だと常々思っていたので、我意を得たりと思わずニヤリとしてしまいました。
 それでも、記事では、高額納税者に名を連ねる「錬金術師」たちはまだ正直な人達で、所得を上手く分散してリスト上位に載らないような対策をしている「錬金術師」たちがいるという指摘をしていました。今年のトップを取ったのはサラリーマンの方だったので、かなり話題になりましたが、サラリーマンは所得をまったく分散することが出来ずガラス張りなので、節税対策のしようもなくトップになってしまったのだろうなと、私はちょっと気の毒に思いました。
 しかし、私はこの記事とはちょっと違う感想を持っています。確かに自分個人または自分が経営している会社のお金儲けだけのために「錬金術」を駆使している人を見ると、何だかな。。。。と思いますが、今回高額納税者のトップになった清原達郎さんはちょっと違います。
 彼の会社は「タワー投資顧問」という投資顧問会社で、大企業から企業年金を募り、その資金を元手に、国内企業の株式などに投資して運用しています。01年から03年にかけては、どの投資会社もてこずる惨憺たる状況だったのに、割安な小型株を買い付け、3倍程度まで上げたら売り抜ける手法で確実に利益を出したことで、受託資産が激増したとのことです。
 ある程度の規模の会社ですと、独自に企業年金を運用しているところが多いのですが、この運用結果がここ数年散々たるもので、目標の5%にも届かないとう企業もザラ。これは将来の社員の年金にダイレクトに影響するので大変なことなのですが、この企業年金を運用しているのが「タワー投資顧問」ということになります。つまりは、企業の社員の年金を支えているお仕事なのです。これならば、確かに「カネを右から左に動かすだけ」ではありますが、「庶民の生活と全く接点がない。何一つ付加価値を生み出さず、我々の生活を何一つ改善しない人たち」ではありません。しっかりと庶民の生活を支え、年金の価値を高めてくれているわけです。
 「錬金術」というと何かしらちょっと胡散臭い感じがしますが、現在の錬金術師の中にはこんな風に、庶民の生活を支えている人達もいますし、こういう形で、才能を活かしていただけたら、本人もハッピー、国民もハッピーだと思います。どうせならば、企業年金だけでなく、今ピーピー状態の厚生年金や国民年金もガンガン運用して原資を2倍3倍にしてもらいたいものです。
5月19日より「Yahoo!投票」で【 最近「もったいない」と感じることは? 】というアンケートをやっています。 選択肢から選択する形式なので、ちょっと誘導尋問的ではありますが、途中経過の投票状況をみるとなかなか面白いおもしろかったです。

選択肢は下記の通り

1.買い物したときの過剰包装
2.トイレを流す水
3.夏は寒く冬は暑い空調
4.飽食ニッポンの残飯
5.失われていく自然
6.新製品の登場で捨てられる電子機器
7.巨人選手の高額年俸
8.ほとんど眠っているだけの休日
9.体形の変化で着られなくなった洋服
10.その他

現時点(回答者約66000人)で、他を引き離してトップを走っているのは「7.巨人選手の高額年俸」と「4.飽食ニッポンの残飯」の2つ。この2つで50%を占めています。

■紗紀的考察■
「1.買い物したときの過剰包装」については、環境省がレジ袋の無料配布を規制する方針を決めていますが、社会的にはまだ理解を得られない状況で具体的な規制には到っていません。ちなみに私の場合は、レジ袋はストックしておいていろいろなことにリサイクルしているので、あながち無駄なものではないです。

「2.トイレを流す水」は必要性があまりないかなと思います。私は使うことがありません。

「3.夏は寒く冬は暑い空調」これはもったいない以前に健康に悪いです。私の会社では4/1より空調が暖房から冷房に切り替わります。暖房はガンガン効いていることはありませんが、冷房はかなり強力で、真夏でも長袖厚手のカーディガンとひざ掛けが手放せません。

「4.飽食ニッポンの残飯」これは確かにもったいない。しかし、無駄にすまいと貧乏根性で食べると、それが贅肉となって身について、これもまた健康に悪い。(涙)

「5.失われていく自然」については、他の選択肢とはちょっと視点がずれているように思います。だから何をやめるのと考えたときに、無駄なものがはっきりと絞り込めず漠然としています。

「6.新製品の登場で捨てられる電子機器」これはもったいないでしょう。が、企業としては、新製品を買ってもらいたいわけで、それが私の給料につながっているわけで、そうやって経済が回っているので、単純にもったいないとはいえないのでした。

「7.巨人選手の高額年俸」巨人1軍選手の平均年俸は1億1983万円だそうです。これがもったいないかどうかは私には分かりませんが、野球放送は無駄。特に野球放送延長は無駄だけでなく迷惑です。

「8.ほとんど眠っているだけの休日」この支持率は8%で、意外に高かったので驚きました。私の場合は、これがあるから次の1週間がなんとか乗り切れるという感じです。無駄どころか必ず必要なアイテム。それに私にとっては、な~~~んにもしないでまどろむ時間こそがもっとも贅沢で至極の時です。

「9.体形の変化で着られなくなった洋服」無駄にしないように、リサイクルに出すか、ダイエットしましょう。

「10.その他」としては何があるでしょう。私が最近「もったいないな~~~」と思うのは、夢中になるものが何もなく、なんとなく楽しいことに流されて毎日を送っている中高大生かな。「少年老い易く学成り難し。一寸の光陰軽んずべからず。」です。この年代の頃は、かなりストイックに何かに打ち込んだ方がいいと思います。将来それがものにならなかったとしても、何かに打ち込んだという経験や、自分なりに工夫して努力したという経験が、大人になって様々な問題に直面した時に、簡単につぶされずに頑張れる糧になると思うので。

以上
 今日ニュースで「ジャニーズJr.元メンバーら強盗傷害容疑で逮捕」というニュースが流れていました。ジャニ好きな私としてはかなり迷惑なニュースなのですが、このニュースが流れたことで、実質、ものすごく迷惑している元ジュニアの子達が沢山いることを思うと、かなり怒りを覚えます。
 未成年の犯罪報道について、匿名性を守るのは、今や報道関係ではお約束なのでしょうが、もし本当に匿名性を守りたいのならば「「ジャニーズJr.元メンバー」というのも報道すべきではないと、私は思います。
 この報道のおかげで、現在19才の元ジュニアの子たちの名前が、ネットでは実名で「この子じゃないの」とじゃんじゃん流されています。まるで人気投票のように、知名度の高い元ジュニアの子は、繰り返し名前を上げられて本当に気の毒です。これが成人ならば、本当の容疑者の名前がきっちり載りますので、他の人の名前が面白おかしく流布されるなんてことはないのでしょうが、未成年だったばかりに、他の関係ない子たちがまるで犯人扱いで名前を挙げられています。
 このような状況になるのは、「ジャニーズJr.元メンバー」という枕詞をつけた時点でわかっていることなのに、何故に、それこそ何の罪もない未成年の人権に配慮しないのか、本当に不思議に思うところです。
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 最近ニースで流れてた認知症(痴呆症を最近こう呼ぶことになりました)の80代の姉妹の話で気になったことがありました。事件そのものは悪質リフォームの話だったのですけど、それはこっちにおいといて、この姉妹には夫も子供もありませんでした。それでずっと二人で暮らしていたわけですが、この二人は元国家公務員と証券会社員で、経済的には結婚しなくても、姉妹で助け合って生活できていたわけです。

 つまり経済的に可能なら結婚は不要っていうのは、何も昨今始まったわけではなく、昔っからそうだったってことではないでしょうか。今は、そういう女性の割合が増えてしまったので、まるで最近の女性がわがままで結婚したがらないように言われていますが、実際は大昔からそうなんだと思います。だからこそ、男性は女性を労働市場から締め出してきたのではないかと思うのですよね。収入を絶てば生きていくために、結婚して無料の家政婦になるしかないわけですからね。

 見合いという制度がすたれて、ほとんどの男女が恋愛結婚をするようになったので、結婚=愛という図式が成り立って、結婚とは愛の最高の形なんてすりこまれてしまいます。若い世代(10代20代はこの世代)は疑いもなくこれを信じて、愛する人に出会って結婚するのが夢と本気で思っていたりするのですが、30年も40年も生きていると、そんなの嘘八百だということに気が付くわけです。
 
 そういえば、かつては「愛と結婚は関係ない。だから愛がなくても生活のために結婚する」って女性が沢山いましたけれど、今では「愛と結婚は関係ない。だから愛があっても結婚はしない」って女性が増えてるのもなかなか面白いです。
 昨日公表された高額納税者ランキングをみていて、投資関係の方々の活躍が目だっていたように思います。一時期に比べると、経済環境は底を脱したかなと思われる状況なので、今こそ株なのかもしれませんね。
 私は慎重すぎるのか、単にお馬鹿なだけなのか、いつもブームの最後に乗っかって、のっかたら途端にバブルがはじけるというパタンなので、もう迂闊には株には手をだせないな。。。と思うのですが、コツコツ働いて、コツコツ貯めても老後の資金が足りなそうなのが目にみえているもので、なんとか上手く利殖できないものかな。。。と考えてしまいます。
 私の家系は長生き家系。私は疲れやすい体質で、無理はできませんが、その分無理をしないことを身につけているので、多分90才から100才まで生きるでしょう。公的年金があまり当てにならないと言われている昨今。やぱり安心して長生きできる資金を今のうちになんとか手当てしておかねば。。。やっぱり株でしょうか。う~~~ん。3度目の正直?
 昨日は父の話しを書きましたので本日は母の話しを、というか私自身の話しをします。私がまだ赤ちゃんだった頃、もちろん記憶はまったくありませんが、今ではとっくに廃止になってしまった「赤ちゃんコンクール」というのがありました。当時はどこの自治体でも結構力をいれてやっていた企画で、かなり組織的にコンクールが行われていたようです。
 私は生まれる前から「双子に違いない」と言われるほどでっかく育った赤ちゃんだったそうで、うまれた時には3700gもありました。兄が2800グラムで生まれてきたことを考えると、かなり大きな赤ちゃんだったことになります。2人目の子供ということで、母の母乳も沢山出るようになっていて、うまれた後もすくすくと育ちました。
 うまれた時から髪は黒々とフサフサで、色白で、しかもふくふくと太った(ブクブクではありません)赤ちゃんだったので、小児科の先生からも太鼓判を押され、私の住む町(同級生は150人程度?)で開催された赤ちゃんコンクールでは見事優勝を果たし、町代表として地区大会にコマを勧めました。そしてそこでも優勝を果たし、県大会にまで勝ち進んで、結局、県で3位になったそうです。
 これは、私自身というよりも、母がいかに手をかけて私を育てていたかを物語るものです。このコンクールは大きければよいというものではなく、大きさもしっかり大きくて、でも肥満ではなく、よく運動をさせて体がしっかりしていることが大切で、更には、皮膚にかぶれや虫刺されなどの跡がないことや、知育的にもきちんと成長していることも重要なポイントだったようです。
 今になって思えば、私ってあかちゃんのころが一番優秀だったんだなと思うのですが、それは自分の努力ではなく、母の努力で勝ち取ったもので、きっと一番喜んだのも母自身なんだろうと思います。そして、そんな風に素直にすくすく育って、母に福岡県3位の栄光をプレゼントできた私は、あかちゃんにして親孝行者だったんだなと思います。それにしても、以後それ以上の親孝行が出来ていないというのは、ちょっと情けない限りです。
 母が喜ぶ親孝行というのは、なかなか難しくて、何かをプレゼントするとか、田舎に遊びに行って母の話し相手になるというのも親孝行の一つではあるのですが、一番母が喜ぶ親孝行は、私自身が母にとって自慢できる娘であることなのです。これは、私があかちゃんの時から変わっていません。なかなかハードルが高くて、年と重ねれば重ねるほど母の理想の娘からは離れて行く気がします。とほほです。でも、出来るだけ志を高くもって、頑張っていかねばと改めて思ったこの週末でした。
 私の両親は、ある意味、とても子煩悩な両親でした。それに関する逸話はいくつもありますが、昨日母と話をしていて、新たに「おお!親の愛は偉大だったのね。(父親編)」と思うことがありました。
 それは兄が生まれた時のこと、兄は両親にとってははじめての子供で、両親にとっては待望の長男誕生でした。が、うまれて間もなく問題が発生しました。それは、母の母乳が十分ではなく不足してしまったことです。また母の母乳の状態も悪化して、無理に飲ませることもできない状態になってしまいました。その時、父は「仕方がない。ミルクにしろ」と言ってミルクを買ってきたそうです。
 そうしてミルクでの育児が始まったわけですが、ある月の給料日の夜、仕事の帰りに飲みに行った父が、給料袋を無くしてしまうという事件が勃発。途方にくれる両親でしたが、それでも父は、もらった給料でその日の昼休みのうちに速攻で兄のミルクだけは買っていたので、その月も兄のミルクにだけは困らなかったという話しでした。
 実はこの話、私はこれまでにも何度か、母から聞いたことがありましたが、母乳が出なければミルクにするのは当然で、更には「給料袋ごと無くしたのに、ミルクだけは買っててよかったって、あまりぴんとこない話よね。笑い話なの?」と思って聞いていたのです。
 しかし、昨日母と改めて話しをしていて、驚くべき事実を耳にしました。それは、兄のために毎月買っていたそのミルクの値段は、父の給料の1/3の値段だったというのです。今の感覚でいうとミルク代なんて、たかがしれていて、大騒ぎすることでもないと思うのですが、当時は母乳が当然で、ミルクは超高級品。母の母乳が出ないのでミルクに切りかえようと言った父の決意は、並大抵の決意ではなかったわけです。そして、給料を無くしてしまうという大失敗をした父ですが、愛する息子のために、いの一番にミルクを買っておいた父の行動は大金星に値するというわけでした。
 父は、子供を猫可愛がりにするタイプではなかったけれども、いつもいつも子供たちに必要なことを考えて大切に育ててくれたんだなと、改めて思いました。父はもう何年も前に他界してしまいましたが、今でも私がピンチの時は、父が励ましてくれている気がします。
 先日、ネットニュースで、埼玉県富士見市に住む80歳と78歳の認知症の姉妹が、訪問リフォーム業者らに約5000万円分の工事を繰り返され全財産を失ったニュースをみました。そして、今日は、京都市右京区の認知症(痴呆)の高齢者夫婦が00~04年、業者が勧めるまま自宅の改修をされ、少なくとも18回、計680万円以上の工事代金を支払わされていた上、夫婦は一度も自ら工事を申し込んでいないのに、業者からの請求が今も絶えないというニュースが流れていました。
 富士見市の姉妹につては、市が判断能力のない姉妹に代わって財産を管理する「成年後見人」の選任を裁判所に申請中で、県警も関係書類を入手して事実関係の調査を始めたことから、姉妹と契約を結んだ業者計16社のうち、約2500万円分の工事をしたリフォーム業者と、約610万円の工事をした業者は、工事費用の返金を申し入れています。また、姉妹の家の競売を申し立てている信販会社2社のうち1社は、債権の全額放棄を申し出たということです。
 また京都市の高齢者夫婦の場合は、領収書などがある12社のうち、屋根裏の補強工事をした会社は対応を拒否。電話が使えなくなりホームページを抹消した業者もあったそうです。
 このように、昨今、認知症で判断力のない居住者につけ込んだ悪質リフォームの例が増えており、1軒の家に何社ものリフォーム業者が集中して、一般的な基準と比べて高い金額で、異常に多くの危惧を取り付けられ、意味のない補強工事を繰り返すのがパタン化していることから、専門家は「業者間で顧客名簿が転売されているのではないか」と指摘しています。
 このような、相手が認知症と知りながら、それを利用して不要なリフォームを繰り返す悪質リフォーム業者は絶対に許せません。公的には「成年後見人」の制度がありますが、本人が認知症だと自覚できないのが認知症の特徴でもあるので、本人の申請だけではく、家族はもちろん、病院や、自治体・警察などの相互協力で、認知の高齢者を守っていく地域のネットワークが必要であると思います。
 最近の傾向は「晩婚化」と言われていますし、結婚していない人を普通は「未婚」と表現していますが、昨今の結婚事情をみていて、根本的に違うのでは?という思いにいたりました。
 「晩婚」や「未婚」というのは、「いずれ結婚する」ということが前提になっている言葉だと思うのです。「未婚」は書いて字のごとく「まだ結婚してない」ということで、「晩婚」は「遅れて結婚する」ということ。どっちにしろ、ゴールに結婚ありきの言葉です。
 しかし、私が思うに、今日本で静かに進行している現象は「非婚」だと思うのです。確信犯か、成り行きかはさて置き、いずれにしても「非婚」の先には「結婚」はありません。
 昨日TVをみていましたら、30代の女性が6人でている番組がありまして、みなさん職業人で、6人のうち既婚者は1名。のこり5名は独身でした。この中のひとりが他の女性に「結婚しないの?」と聞かれてぼそっとこういったのです。「今更誰かと一緒に暮らすなんて無理」それは、本当に気心の知れたお友達同士の会話で、無意識に本音が出たという感じでした。
 この感覚って私にもよく分かります。長いことひとりで暮らすのになれてしまうと、もう自分の生活ペースが出来上がってしまって、新しく誰かと一緒に暮らすことはかなり難しくなります。例えば帰省して実家に戻ったり、友達と旅行に行ったりと言った非日常の生活では、誰かと一緒に過ごすのも楽しいものですが、日常の生活はやはり独りで誰にも邪魔されずに、自分のペースで暮らしたいと思うわけです。
 現代は、家電や、外食産業・コンビニ等の発達で、男性も女性も独り暮らしでも日常生活や家事に困るということはほとんどなくなってきています。また、仕事をしているとそれなりに忙しくて、独りで淋しいと思う暇もなければ、真剣に結婚しなくては!と思う暇もなく、気がついたら、30代40代というケースも増えているのではいないでしょうか。
 これからの日本、ますます非婚化が進んでいくのではないかと、密かに私は思っています。非婚率50%なんて社会もあながちありえない話しではないと思います。
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 いまの長者番付の原型は、鴻池や三井などの財閥が占領下で次々に解体されたころにできあがったもので、もともとは、他人の所得隠しを通報すると報奨金がもらえる制度とともに、「密告税制」を支える柱とされたものでした。報奨金はやがて廃止されましたが、何故か番付は残り、現在に至ります。
 現在、この長者番付に載るのは全国でも7、8万人ということですが、昨今、この長者番付に載ったことで、怪しげな郵便が殺到したり、空き巣や強盗に狙われるケースもあり、「高額納税者リストに出さないで」という要望も増えてきているそうです。実際に、東京で、この高額納税者の氏名や住所を記したリストを使って「振り込め詐欺」を繰り返していたグループが逮捕されました。
 歴史的にみても、長者番付の果たす役割はすでに終焉していますし、沢山税金を払って国の財政に貢献しているにもかかわらず、リストに載ることで犯罪被害に合うリスクが上がるなんて、まるでペナルティーのようだと感じます。プライバシーの保護の観点からいっても、長者番付は廃止すべきだと私は思います。
 本来の「脱税防止」という目的にたち帰るならば、現代に必要なのは、長者番付ではなく、追徴課税者番付ではないでしょうか。この方が長者番付を公表するよりも何倍も脱税の抑止につながると思います。
 今年の初め、大阪で地下鉄に乗った時、たまたま前に止まった電車の車両が、何故か他の車両とは違って白地にキューピーちゃんの絵柄の車両だったので「おや?もしかして車両そのものが広告なの?」と一瞬思いましたが、実はそれが女性専用車両でした。大阪の地下鉄の実績では、女性車両の導入の結果、痴漢被害が激減したということでした。
 今年の5月から、一斉に都圏8私鉄・メトロ(東武鉄道、西武鉄道、京成電鉄、京王電鉄、小田急電鉄、東急電鉄、京急電鉄、相模鉄道、東京メトロ)で通勤時間帯の「女性専用車両」が導入されました。まだ導入されたばかりで、痴漢被害の減少に結びついているかは、わかりませんが、気になった点が1つ。
 導入直後のニースで、女性車両は空いていて乗りやすいという女性の意見や、その分他の車両が込むので逆差別だという男性の意見などを耳にしました。でも、どうして女性車両は空いているのでしょう。電車に乗る女性の数が男性に比べて極端に少ないからとも考えにくいので、多分一般の車両に乗る女性がまだまだ沢山いるということでしょう。
 何故「女性専用車両」ではなく一般の車両に乗る女性がいるのかちょっと不思議に思ったのですが、答えは簡単でした。それは「女性専用車両」が先頭車両にあるからです。一般に先頭車両は、改札口や乗り換え口に遠い場所にありますので、わざわざ先頭車両の場所まで移動して乗るのが面倒(または間に合わない)という女性も結構いるのだと思います。更には、先日起こった尼崎脱線事故を考えると、先頭車両はリスクが高すぎて乗らないことにしているという女性もいるのではないでしょうか。少なくとも私は、あの事故以来、電車に乗る時は後ろから2両目と心に決めています。
 大阪で乗った「女性専用車両」は、先頭車両ではなく一般の車両に挟まれた中央部にあったのですが、なぜに都圏では先頭車両になったのでしょう。中央部だと誤まって駆け込む男性が多いと思われたからでしょうか。しかし、1両目が「女性専用車両」となると、脱線のリスクと痴漢被害のリスクを天秤にかけて、どうしようかな。。。。。と悩んでしまいそうです。路線の条件や、乗車時間で判断基準は変わってくるでしょうが、私ならば、利便性と安全性を重視して、一般車両を選択するかもしれません。
 1991年に現在の「40人学級」が導入され、今では「30人学級」の導入が検討されています。1クラスの定数を少なくすれば、生徒ひとりひとりに教師の指導が行き渡りやすくなるということから、こういった傾向が続いているのだと思います。また、アメリカ等の教育事情も伝えられるようになり、小人数制の学校教育が紹介される機会が増えたことも、教育関係者や保護者の気持ちを小人数学級へと向かわせる背景あるのかもしれません。 しかし、私は、この小人数学級を勧めても、最近問題になっている学級崩壊の解決の切札にはならないと思っています。
 学級崩壊の実態を見聞きするに、話しを小学校に限定するならば、その原因はごく限られた一部の生徒、人数でいうならば、1名から3名程度の生徒のケースがほとんどのように思います。最終的にはクラス中に広がって収拾がつかない状態になるのでしょうが、最初の原因を作るのはごく少数の生徒たちです。学年が変わってクラス替えがあると、もと学級崩壊のクラスにいた生徒でも落ち着いて普通に授業を受けるようになりますし、逆に、もともとは問題のなかった生徒でも、新しいクラスに原因となる生徒が入ると、嫌をなしに巻きこまれて行くことになります。
 問題となる生徒が1人でもいると、担任の先生はほとんどその生徒の指導にかかりっきりになってしまいます。そして、残りの生徒は、きちんとした授業も受けられずに放置されてしまう。学級崩壊により受けられるはずの教育を受けられなかった回りの生徒達の被害は甚大です。
 小人数学級にすると問題になる生徒がクラスに含まれる確立が低くなる可能性はありますが、もし1人でもいれば、大人数学級でも小人数学級でも結果は同じです。しかもクラスが小規模になればなるほど、子供たちにとっては、生徒同士の人間関係の密度が増しますので、イジメなどのリスクは増すわけで、必ずしもいいことばかりではありません。
 これらのことを考え合わせて、私が思うとこは、今必要なのは「小人数学級」ではなく、担任複数制だと思います。極論を言うなら、今のクラスを2つくっつけてでも担任を2人にしたほうがいいと思います。特に問題のない生徒の集団は、30人でも、50でも、大差なくきちんと授業を受けることができます。必要なのは、学級崩壊の状況の中で、学習の機会を失っていた生徒に、きちんと学習の場を提供することです。複数担任にすることにより、問題となる生徒の指導を中心に行う教師と、普通の生徒の指導に専念する教師というように役割分担ができれば、これまで放置されてきた普通の生徒達にとっても福音ですし、ひとりで問題を抱えこまないで済む教師にとっても福音です。
 最後に「問題となる生徒」ですが、私は、このタイプの生徒を「悪い生徒」と位置付けているわけではありません。そういう行動に出るのにはそれなりに理由があるのでしょうし、そういう生徒に対するフォローは必要だと思います。しかし、今のようにクラスに担任がひとりで、問題の生徒の指導にかかりっきりになると、学級崩壊に繋がり、他の生徒の保護者からの問題の生徒への風当たりはものすごいものになります。そのせいで、問題の生徒が不登校になった話しを聞いたことがあります。その結果、クラスは平常状態に戻り、生徒たちもその保護者たちも喜んだということでした。しかし「問題の生徒」を排除することでしか解決できないとしたら、教育のシステムが間違っているのではないでしょうか。
 担任複数制は未知の制度で、その効果も今のところはっきりとした裏付けがあるわけではありませんし、実際に導入するとなれいろいろ問題はあるとは思いますが、取りあえず、今学級崩壊が問題となっている学校で取り入れてやってみる価値はあると私は思います。
 まずは、サラリーマンは怒っているんだぞ!国民年金を納めている人が対象者の6割に満たないと言われている中で、一番取り立ての簡単な給与所得者からの取立て額を増やして、手っ取り早く財源を確保しようとする政府のやり方!多分あと数年で破綻するでしょう。もう、これ以上の増額は無理です。年金が国民の義務だというのならば、まずはきちんと納めていない4割の人からきっちり取り立ててから、増額を検討してほしいものです。過去に遡っ、きっちり取り立ててください。一気に資金が増えて、随分楽になるはずです。
 さて、政府がどんな予測を立てようと、どんな施策をたてようと、今後少子化傾向が改善するとは、残念ながら思えません。多分、日本で生きていくのに、子供がいないとありとあらゆる場面でものすごく損で「ノーキッズなんて馬鹿馬鹿しくてやってられないよ。養子でもいいから子供がほしい。」と日本中の人が思うくらい、子供を持っている人が優遇される社会にでもならないかぎり、出生率が2を超えるなんてことはありえないでしょう。今の状況でいけば、政府の取り組みが功を奏しても、ようやく下落傾向が底を打って、1.2~1.3くらいで推移するところに落ち着くのが関の山っていうところではないかと思います。
 そう考えると、今の年金制度のように「世代間相互扶助」なんて話は成り立ちません。出生率1に近いということは、親の世代の半分しか子供がいないのですから、年金制度は、1世代(25~30年くらい)で破綻しています。しかも、今のように金利が安くては上手く運用して資金をどんどん殖やすというのも難しい。今後は年金の資金は年金以外にはビタ一文使わないとしても、(今の年金基金の崩壊は、バブル時代から現在にいたるまでの、年金基金の無駄使いにも大きく影響しているわけで、今後は絶対に無駄にしてほしくないです。ほんと人件費も極力削ってほしい。職員さんは全て年金を貰っている人のボランティアで運用してほしいくらいです。)元金が増えていかないことには、破綻は見えています。
 そこで、私は思ったのです。ここはいちかばちか、年金基金の運用をホリエモンに任せてしまえばいいのではないかと。彼ならば金融のプロ。まるで錬金術の使い手のように、どんどん資金を殖やしていくことができます。確か、ライブドアの株を1年で100倍の価値にしてしまったのですよね。さすがに1年で100倍にしろとはいいませんが、毎年2倍にでもしてもらえるならば、年金基金も安泰というものではないでしょうか。国民の掛け金の負担も減らすことができるでしょうし、さらには、給付金もアップできるかもしれません。ホリエモンは本当に頭の良い人で、マネーゲームの天才だと思うのですが、それだけの才能を持ちながら、それを自分だけのために使って、世間から危険人物扱いされるのは本当に勿体ないです。
 思うに所謂産業界というのは、なんやかんやいっても、最終的には実際の商品やサービスがあってこそ成り立つ世界で、そちらが本業なのですから、本業そっちのけでお金儲けだけに走るというのは、いくらベンチャー企業とはいえ、それこそ企業倫理なんて皆無の世界だよね。。。と眉を顰められてしまうわけです。
 しかし、これが、年金基金の運用が仕事となれば話は別。もうただひたすらいかに上手く資金を動かして、最大限のリターンを得るかを考えて、結果をだせばいいわけで、大儲けしたからといって、誰からも後ろ指さされることもありません。ホリエモンの一番得意としている分野ですよね。ホリエモンなら、あっという間に、国民全員からもれなく年金を取り立てるシステムを作り出して、きっちり取り立てた上、それをものすごい利率で運用してくれるのではないかと思います。広く国民のためにその才能を遺憾なく発揮していただければ、国民的英雄ですよね。日本が年金大国・福祉大国と呼ばれる日が来るのも夢ではないでしょう。日本の未来が掛かっています。是非よろしくおねがいしますよ。ホリエモン!

って、結構まじめに、金融の天才といわれる方々を年金改革のメンバーに加えて、これまでの「世代間相互扶助」なんて既に破綻しているシステムは捨てて、今までとは全然違うシステムを作ってほしいものです。
2005.05.08 次は夏休み
長いようで、あっという間だったGWも今日で終わりです。
個人的なイベントとしては、初日にNEWSのコンサートに行き、
中3日の連休で帰省し、締めの2連休は普通の週末と同じく
ゴロゴロと過ごしました。

月曜と金曜が出勤だったこともあって、もう休みは飽きたと
思うほど休んだ気持ちにはなっていないのが、正直なところです。

最近は、何故かかなり長い休みがあっても、全然休み足りない
気がしてしまいます。以前は長い休みが続くと、そろそろ会社に
行きたいなんて思ったものなのですけどねぇ。

次のまとまったお休みは夏休み。とはいっても、会社の方は
暦通りの運用なので、自分でお休みをとって夏休みを作ることに
なるわけですが、今年の夏は、久々に東京に行ってみようかなと
密かに計画中です。

しかし!個人手配にしても、パック旅行にしても、夏休み期間に
入ると、いきなり料金が跳ね上がるのですよね。それだけ人が
動く時期だってことなのでしょうが、ちょっとだけ納得できない
こともあります。

というのは、自分だけの旅行ならば、夏休みを前に倒して7月上旬に
とか、逆にちょっと遅めに9月に入ってなど、格安の航空チケットや
パックが使える時期に休みを合わせるのはやぶさかではありませんが、
子供がいると、子供を置いて自分だけ旅行にでかけるわけにもいかず、
子供も一緒に連れていくことになります。

子供がまだ未就学児ならば、親の都合でなんとでもなるのですけど、
子供が学校に行くようになると、学校の休みに合わせてということに
なります。そして、この学校の休みの時期が、旅行価格がピークの
時期なのですよね。それでなくても、子供の旅費までかかって旅費が
2倍かかるのに、その上、料金もピークとなるというのが、なんとも
辛いところです。
 尼崎脱線事故の直後、いの一番に、JR西日本が置き石説を写真入で流布した結果、日本中で、置き石事件が発生しています。今になってみると、安易な置き石説は、事件の誘発行為になっているのではなでしょうか。

 ここ数日でも、大阪市東住吉区のJR阪和線鶴ヶ丘北2踏切に置き石をしたとして67歳男が逮捕されたのを始め、青森県五所川原市栄町のJR五能線でも、線路上に置き石をしたとして男子中学生(12)と女子小学生(9)が補導されました。その他にも、多数の置き石事件が繰り返されていますが、ニュースで報道されるのは、置き石の事件の事実のみで、置き石が犯罪であることをアピールする記事がほとんどないように感じます。故に、面白半分のいたずら心でちょっと置き石してみるという行為が、日本中で多発しているのではないでしょうか。安易な報道が事件を助長しているとさえ私は感じています。
 
 置き石で事故が起きたり、電車が止まったり、車両が傷ついたりすれば、民事事件としてかなり高額の賠償金を払うことになるのは、広く知られていることかもしれませんが、刑事事件としてどの程度の扱いを受けるのかは、あまり知られてないのではないでしょうか。

 刑法では「第十一章」の「往来を妨害する罪」の中で第125~128条に定められており、簡単にいうと、「汽車または電車の往来の危険を生じさせた者は、ニ年以上の有期懲役に処する。」「現に人がいる汽車または電車を転覆・または破壊した者は、無期懲役または三年以上の有期懲役に処する。」「これにより人を死亡させた者は、死刑または無期懲役に処する。」「これらの罪の未遂は、罰する。」となっています。

 つまり置き石をすると、事故にならなくてもニ年以上の有期懲役、人が乗っていて事故になればその度合いにより三年以上~無期の懲役、それで人がひとりでもなくばれば有期懲役ではなく死刑または無期懲役ということです。最近の裁判の傾向をみると、集団での犯罪の場合、昔のように、それぞれの果たした役割で刑が軽減される傾向ではありませんので、仲間と一緒にみんなでやれば個々の罪は軽いなんてことも絶対にありません。人数が多くて意味があるのは、民事裁判の場合の高額賠償金を頭割りできることくらいで、刑事事件ではあまり意味がありません。

 もし、おもしろ半分で置き石を試みる人がいたら、その行為は、好奇心を満足させるにはあまりに大きな代償を払うことになることを知るべきです。そのことを報道関係はもっと沢山の国民にアピールする必要があると思いますし、教育の現場や各家庭でも、「置き石」がとても危険であり、多くの人に迷惑をかけることになるということと同時に、置き石をした人にとっても、人生を狂わすに値する行為であることを真剣に教えてほしいと思います。
2005.05.06 雨の日の運転
 夜の10時頃、知人を送って雨の中近くの駅まで車を走らせました。本当に怖かったです。何か怖いって、車線がほとんど見えないこと。
 駅への道は2車線の道ですが、道路拡張工事中のため、所々1車線だったり、右折車両のために3車線になっていたり、2車線のはずがいきなり中央よりの車線がなくなっていたり。。。。晴れの日の昼間には、あまり意識しないその車線構造が、雨の夜は車線が見えないために、トラップだらけに思えました。
 知人を駅の裏の路地で降ろし、いつもならばそこでUターンするところが、その日に限って後続車、対向車、駐車車両に阻まれ、Uターンできずに、大回りして帰途につくハメになりました。
 更に家の前の道路。離合もほとんど不可能なくらい狭い道路なのですが、マンションの前だけはなんとか離合できるスペースがあって(って結局マンションの敷地ですけど)、駐車場の入口のシャッターを空けるのに30秒ほどかかるもので、いつもはここに止まってシャッターを空けるのですが、この日に限って対向車線から来た車が、1歩早くそこに車を止めてしまったのです。それで仕方なく一旦反対側に車を止めました。単純に離合のためと思ったのですけど、実はマンションの誰かを送ってきた車だったらしく、しばしそこに止まって挨拶なんかを始めたものだから、後続車・対向車の進行を妨げる結果に、普段ならシャッターを開けている間に、出会う車なんか1~2台しかないのに、この日に限って10台ほどが行き来し、シャッターがあいても、反対側に止めていたので、往来の車が切れるまでは、身動きがとれなくて、辛い思いをしました。
 どうやら私は車の運転が嫌いらしいです。車検に出しても、係りの人が驚くほどしか走ってなくて「車が可愛そうなので、もうちょっと乗ってやってください」と言われる始末。駐車場代、税金、車検代、任意保険代を考えたら、車を持たずにALLタクシー利用でも、お釣りがくるだろうな。。。とは思うのですが、なかなか手放せません。
 この話題はいろいろ考えさせられることが大きくてネタだつきません。
 昨日は電車に乗り合わせた運転士2名が救助活動をせずに出社していたことに続き、JR西日本天王寺車掌区の区長ら43人が、福知山線脱線事故発生の約3時間後から親睦ボウリング大会を開いていたことがニースで流れ、大問題に発展していました。
 私は、今回の尼崎脱線事故のニュースをネットで見ました。私の会社にはテレビがありません(テレビそのものはありますが従業員が見るものはありません)し、ラジオもありません。一度会社の中に入ると、情報の孤島になります。かろうじて、休み時間にネットでニュースを確認する程度です。今回のニュースもそうやって知りました。知った時にはすでに大惨事状態で、乗り合わせた乗客や、近所の住民、近くの工場に勤務する従業員さんたちが、皆で力を合わせて、被害者の救出作業や、治療を行っている様子を伝えていました。
 この様子を見ながら、人々の助け合いの心に感動を覚える一方で、私自身がこの場に居合わせたとしたら、私はどういう行動をとったのだろうか?と考えていました。
 そんなところに飛びこんできた事故車に乗り合わせていた2人の運転士の行動。私には他人事には思えませんでした。もし私があの事故車の7両目に乗り合わせていて、自分自身にはなんの被害もなかったら、私もあの運転士さんたちと同じように、ただ出勤することだけにこだわったかもしれないと思ったのです。実際に、日頃、通勤途中で事故をみかけても、足を止めることはありません。帰宅時ならば、足を止めて様子をみたり、救急車を呼んだりしたことはありますが、出勤の際はダメです。「途中で事故の人を見て助けていたので遅刻しました」なんてことは遅刻の理由にはならないからです。それを考えると、あの列車に乗り合わせた方の中にも、その時はとっさに時間通りに出勤することを最優先した方もいただろうと思います。そして多分、時間の経過とともに、この列車事故の規模の全容がわかるに従って、自分がとっさにとってしまった行動を深く後悔しているのだろうなと思います。それもまたある意味悲惨なことです。
 逆にあの事故現場の近くにあった工場の方々の取った行動は、すごいと思います。効率と成果が追求される現代にあって、工場の仕事を止めて救出作業に従事するということは、実際はかなり難しいことだと思うのです。私の会社の近くには鉄道はありませんが、仮に、会社の前の道路で、大型バス数台の玉突き事故などがおきて、大惨事になったとしても、就業時間中に救助作業に出ることは考えられません。例外は唯一、業務命令が出た場合のみです。そして、会社が救助の命令を出すかといえば、これもまたかなり難しい判断だと思います。私の会社が、非常時にでも人道より効率を選ぶ会社だというのではなく、会社としては、社員への2次災害の恐れ考えて、業務命令までは出せないだろうと思うのです。それを考えると、あの故事で人命救助に最大限の協力をしていたあの工場の責任者の方々、従業員の方々には、本当に頭の下がる思いです。
 ああいう事故が起こった場合に、人命救助の役割を担うのはいったい誰なのでしょうか?今回は、警察の方々、消防の方々など、地元だけでなく、近県からもかなりの数の応援が出ていましたが、初期救出に活躍したのは、やはり乗客や近所の住民や、近所に勤務する従業員の方々でした。一方であまりに当然なことなので、ニュースにならないだけで、事故の当事者であるJR西日本からは当然、近県を含め沢山の職員が出て、救出作業や、被害者の方々への対応、医療機関への対応などやっているものだと思っていました。あの事故の大きさを思えば、事故の連絡が入った瞬間に、少なくとも100人規模の社員が事故現場に派遣されてきているものだとばかり思っていました。手の空いてる職員だけでなく、非番中の職員にも緊急指令が出て、述べ数にすれば、他の組織を圧倒する数の職員が現場で活動したものと思っていたのですが、どうやら全然違っていたようです。
 JR西日本天王寺車掌区のというのは、事故現場から15キロも離れていないということでした。そんなに近くにいながら救助に駆けつけずにレクレーションを楽しんでいたという感覚は私には理解できません。ただし、記者会見をみていて思ったのですが、事故を知りながら参加した人が13人いて、知りながら参加したことがものすごく問題視されていましたが、知らなかったという30人はもっと問題ではないでしょうか。あの事故を地元でありながら、しかもボーリング会場にはTVもあり、繰り返し報道されていたにもかかわらず、事故を知らなかったと証言した30人の車掌たち。はっきりいってありえないです。自分の仕事に密接に関係のあることなのに、日頃からそういった情報に対するアンテナが皆無だったとしか思えません。なので、知っていた人よりも罪が軽いとは私には思えません。
 もちろん、こういった行動を取ってしまった方々は社内規則で処罰の対象になるでしょう。ただこのケースの場合は、各々の社員よりも、社員を指導する立場にあった管理職の人の責任は更に重いと思います。そして最終的には、JR西日本のトップ陣の責任が一番重いでしょう。事故が起こったら、手の空いている社員や、非番の社員を可能な限り現地に集める。ただそれだけの対策が何故日頃から徹底されていなかったのでしょう。JR西日本を見ていると、事故が発生したら即現場へという考え方は、会社のトップから平社員に至るまでどの層の社員にも、徹底的に無かったように思います。
 父の遺骨を納めた納骨堂が、今回の地震でかなりの被害をうけたというので、遺骨をお寺の納骨堂に移すことになり、行ってまいりました。まずは元の納骨堂から納めた時のまま白い布で包まれた桐箱を取りだし、お坊様にお経をあげていただき、それをお寺に運んで、お寺の本堂で、またお経をあげていただき、新しい納骨堂に納めて、更にお経をあげていただきまして、無事、移転を完了しました。
 どうやら、実際のところ、地震で元の納骨堂が被害にあったのは、単なるきっかけにすぎず、母が遺骨の移転を決めた本当の理由は、元の納骨堂の立地にあったようです。1つは父の田舎にあり、その地区に代々住む人達のための納骨堂で、うちのように他の地域に住みながら、そこに遺骨を納めているケースはほとんどないということ、更に、場所がとても交通の便が悪い山中にあり、タクシー以外では行けないということがあったようです。
 私自身は、私のもつ信仰心や、父への供養の思いと、お寺の様々なシステムがどうしても合い入れないために、お寺の各種行事とは極力係り無くないという気持ちがあります。また年金生活をする母が、お寺の行事がある度に、父への供養になるからと、自分の生活費を削って分不相応の高額なお布施をしたりするのを見ると、なんだか遣りきれない思いがします。そんなことを父は望んではいないだろうに、と思うのです。 それでも、大人のすることなのだし、母がそれで気が済むのならば、私の考えを押し付けるのもいかがなものかと思い、なるべく口を出さないように心がけてはいました。しかし、一時期、母の生活のほとんどがお寺中心になってしまい、たまに帰省した私との会話もほとんどが、「この前、お寺でねぇ。。」とか、「今度お寺でねぇ。。。」という話しになってしまったことがあって、とうとう堪忍袋の緒が切れたことがあります。その時に、私はお寺のシステムそのものには多いに疑問を持っていること、そのお寺に振りまわされている母をみると、怒りが倍増すること(母の話しもお寺に対する不平や愚痴が大半ですし)、それでも、母にとって、それが必要なら辞めろとは言わないから、代わりにそういう話題は私の耳には入れて欲しくないことを母に言いました。
 それもあって、今回納骨堂を移す話しは、私が大反対するだろうと思ってたようで、なかなか切り出せなかったようです。私自身は、亡くなった父はいつも私の心の中にあると思っているので、遺骨がどこにあるかというのはあまり問題ではないのですが、物理的に遺骨がある以上、ほっておざなりにしておくわけには行かないという気持ちはありますので、母が一番好ましいと思うとことに納めておけばよいと素直に思った次第です。
 人の信仰心の体現は千差万別だと思うのです。私がお寺が好きではないのは、そこが、宗教の場というよりも、宗教ビジネスの場的になっているように感じるからだと思います。多分私は一生既存の宗教に帰依することはないでしょう。
尼崎脱線事故について、海外ではどのように見られているかについての記事を見ました。時間の感覚について、国民性の違いは大きいとは思いますが、「遅れ」の対処をどう考えるかについては、大いに見習うべきところがあると思いました。ちなみに「90秒遅れは欧米では時間通り」という感覚なんだそうです。

まず、マメリカはニューヨーク市では、交通局が列車の遅れと認めるのは「最終駅到着が5分遅れた」ケース。原因不明の遅れがあれば運転士から事情を聴く。「スケジュールを本来のものに戻すためで、処罰が目的ではない。でも、速度制限違反は罰する」ということでした。遅れは5分以上の場合というのは、日本では受け入れられないかもしれませんが、運転士に事情を聞くのが、処罰目的ではなく遅れへの対応のためというのは日本でもみらなう点ではないでしょうか。遅れの原因が運転士の怠慢の場合は別でしょうが、駅での乗客の乗降に時間がかかった等、正当な理由がある場合は処分の対象にするのはいかがなものかと思います。

次に、ドイツの話、ベルリンで通勤電車を運行する独エスバーン・ベルリン社の広報担当によれば「列車の遅れとは3分以上のこと。」で。ドイツではどれだけ遅れたのかではなく、遅れの原因を問題にするという。「我々も定時運行を大切にしているが、秒単位は現実的に考えにくい」 とのことでした。ここでも問題は原因であって、遅れた事実そのものではないことが分かります。

英国の大手鉄道会社バージン・トレインズでは「短距離の列車では、ラッシュアワーで4分を超えたら『遅れ』とみなす」ということで、鉄道大国フランスも、90秒を遅れとは考えないそうです。仏国鉄によると、88年の列車衝突事故後に自動制御システムを導入。遅れを取り戻すために上げることのできる速度の許容範囲もシステムが制御している。広報担当者は「許容範囲を超さないと取り戻せない遅れは、放っておくしかない」と話したそうです。
確かに、スピード違反無しには取り戻せない遅れを短時間で取り戻すことは不可能でしょう。各駅での停車時間に余裕があればまた話しは別でしょうが、 尼崎脱線事のケースではもともと計画されている停車時間が15秒なのですから、そこで挽回する余地はないでしょう。

最後に イタリアのお話、イタリアでは列車の遅れは日常的で、オーバーランも多く、ホームの外れに止まった列車に乗客が走り寄る光景も珍しくないそうです。鉄道会社トレンイタリアは「5分から15分程度の遅れは乗客も認めていると思う」と語っており、更に、イタリア最大の労組イタリア労働総同盟のフランコ・ナッソ交通労組書記長は「『遅刻はなるべくしないようにする』くらいの認識でいいのでは」と話したそうです。「電車が数分でも遅れに文句を言う客が日本では多い。海外はあきらめているところが多いが、日本ではきちんと来るのが当たり前という感覚だ」という話でした。

思うに、これは 日本では、会社(学校もですが)の就業管理が厳しく、会社(学校)に1分でも遅れると処分の対象になるからではないでしょうか。社会そのものが時間に関するバッファがないのだと思います。
だったら時間に余裕を持って行動すればいいという話なのですが、もともとがあまりに多忙な社会なので、各々の個人にも時間的なバッファがないのだと思います。睡眠時間もぎりぎり。朝起きるのもぎりぎり。電車の時間もぎりぎりで、会社のつくのもぎりぎり。会社ではぎりぎりまで働いて、家に帰ったら食事をしてお風呂に入ってちょっとくつろぐと、寝ないと睡眠時間が足りなくなる。といった具合。どこの時間も削れない状態で、みんながギリギリの生活をしている気がします。

日本の鉄道の時間至上主義の背景には、日本という国そのものの余裕のなさが垣間見れる気がしました。
2005.05.02 余震再び
本日(5/2)の午前1時24分ごろ、福岡県西方沖を震源とする余震が発生しました。
福岡市の震度は震度4、震源の深さは約10キロで、地震の規模はマグニチュード4.9ということでした。
今回の地震は震度4ということで、4月20日に発生した余震に比べるとゆれそのものは激しくはありませんでしたが、時間的にはなかり長い時間揺れていました。私は地震発生時間はすでに寝ていましたが、揺れ始めた瞬間に目を覚まし、物が落下してくる心配のない場所にあわてて移動しました。揺れはかなり長めにガタガタと揺れていたので、恐ろしい思いをしましたが、それ以上に揺れそのものが強まることはなく落ち着きましたので、そのまま寝ました。が、とても浅い眠りで、その後発生した震度1の余震はもちろん、風の音や、外部のちょっとした物音にも敏感に反応して目を覚ましてしまい、とても寝苦しい思いをしました。
余震そのものはこれから、どんどん減衰していって、そのうちになくなってしまうとは思いますが、これからも、きっと突風の音や、トラックなどの地響き、強風でのゆれ等、地震の気配によく似た現象に出会うたびに寿命が縮む思いをすることになるのでしょうね。
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